読書

「六人の嘘つきな大学生」にみる就活のバカらしさと、人を評価するということ

どこかの週刊誌に出ていた書評から、面白そうだと思って読んだ浅倉秋成著「六人の嘘つきな大学生」は傑作だった。

ミステリー小説好きな私だが、単純なミステリーに留まらない「人を見る」ということを考えさせられた。

話は、大学生の就職活動で、今を時めくIT企業(スピラ)の最終試験まで残った6人。

この6人の内、1人だけに内定を出すということになって、その1人を6人で話し合って決めるというもの。最終試験(面談)である事件が起きて、その犯人は誰なのか、ということが語られていく。

結局のところ、誰が犯人なのか、というのは話の中盤で、それぞれの人間性が如実に語られていく。

小説の内容は、とても、とても上手くできている。

いろいろな伏線のオンパレードだ。

 

私はおそらく就職活動が滅法得意だ。特に面接が強くて、アドリブがやたらハキハキと話せる。用意していたわけではないことがその場で、良い感じの切り替えしができる。「ああ、この面接通ったな」とハッキリと分かる面接ができる。

なので、学生時代の就活というのは、他の人に比べればプレッシャーはかかっていない方だったろう。

そんな私だが、大企業への就活では、全員が同じ服装で黙って会場に歩く姿は、気持ち悪いなぁと思っていた。

学生の自己PRもステレオタイプのそれで、7,8割方は同じことを話している。

  • サークルで、副代表
  • NPOに関わり、運営の一翼を担う
  • 大学3年のタイ旅行で、行動力をアピール
  • 語学学校、短期留学
  • 最後にその企業のスローガン的なものを出して、ヨイショ

この内容の学生ばかりだった。

だからこそ、私の就活での話が抜きんでるわけだが、日本の就活が気持ち悪いことは間違いない。

 

この小説は、日本の雇用慣行における新規一括の就職活動を揶揄している部分も多いが、それ以上に、人を評価することの本質を語っている。

47歳にもなると、これまで、ウマの合わない人は1人や2人ではない。

職場でも昔は仲が良くて、情報交換をしあっていたのに、些細なキッカケで修復不可能な関係になってしまった人も、1人や2人ではない。

こっちが嫌っていたら、向こうも嫌っている、つまりはお互い様ということを言われるが、こちらは大好きでも、向こうから完全に嫌われているな、と確信を持てる場合だってある。

お互いに嫌い合っていたら、お互いが関わらなければ良い。

でも、こちらが好きな相手に、嫌われた場合は、相当にしんどい。

 

でも嫌われたキッカケって本当に些細なことがほとんどだ。それは、自分から相手にダメ出しをしたときだって同じ。1つの事象をして、ダメレッテルを貼っている。

その事象よりも、これまでの人間関係や、その人との良い思い出はたくさんあるのに、である。

月の裏側は見えない。

誰しも闇の部分を抱えていて、そのことが仮に暴露されたとしても、その人全体を否定するのは止めたいと思う。

みんなそれぞれに、良い部分の方が大半なのだし、これまでに培った人間関係、友人関係を大切にしたいと、47のオッサンは考えてしまいました。

すばらしくよくできた話なので、ミステリー小説が好きな人は是非ご一読あれ。

 


六人の嘘つきな大学生 (角川書店単行本)