ミニマリスト

セミリタイアとミニマリストの相関

金持ちになることより、幸せになりたくないか

うちの親父は全く家庭のことは考えない自己チューな人間だったので、親父以外の「母、姉、私」の3人は貧しかった。私はそれが嫌で、将来は裕福な家庭にしたいと子供の頃は考えていた。

そして、そこそこ有名な大学を卒業し、就職もなかなか有名な企業で、世間一般から見れば、まあまあな高給取りだったはずだ。

根本は自信がないので、一流の品(決してブランドものではない)で身を固めることで優雅な日常が生まれるものと45歳までは信じていた。

車は何台も乗り換え、一流どころの革靴は15足は買っただろう。時計、眼鏡、シャツ、ありとあらゆるものを買いあさった。それでも全く幸せではなかった。

仕事に満足感がないことが大きいが、仕事がダメでも、腕にグランドセイコーをはめれば優れたビジネスマンを演じることができるんじゃないかと、大真面目に考えていた。

でも、2年前に「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んでから、モノに頼り切っていた自分を認識し、そこから基本的にモノは買っていない。

PC、デスクライト、この机やオフィスチェアーなんかを買ったが、それは「モノ」ではない。商売道具だ。ここでいう、ダメな「モノ」とは、「見栄を張るためのモノ」を指している。

そう、私は見栄を張るのを止めたのだ。

少ないモノの方が幸せになれることを知る

コロナで、在宅ワークが基本になったことで、通勤がなくなった。職場に服装で武装する必要がないので、ヘインズのTシャツと、短パン(スウェット)しか着ていない。ずっと同じ服なので、今日何を着ていこうという悩みから解消された。

本もいっぱい捨てた。目の前にいろんな情報はないほうがいい。たとえ、その本を読もうと手に取らなくても、背表紙のタイトル(活字)が視界にあるだけで、ストレスを感じる。

2年間、着なかった服は、今後も着る機会は絶対に訪れない。

できる限り、シンプルなライフスタイルにシフトしていくと決めた。

一度きりの人生、モノで悩んでいる時間が無駄だ

サラリーマン時代、なにしろ仕事ができないから、残業も激しかった。終電とはいわないまでも、たいてい帰宅は22時くらいだった。そこから食事して、お風呂したら、あっという間に、2330くらいになって、そこからTVをちょっと見て、寝る。そして会社に行く。これが永遠に繰り返していた。

仕事で、がんばったって評価もされないものだから、基本定時で帰る男になろうと決めた時期もある。そうしたら、仕事は中途半端で帰るものだから、仲間からの信頼は地に落ちて、それはそれでストレスがたまる。

 

私は、お金があれば大抵のことは解決すると思っていた。仕事に自信がないから、モノで武装すれば、エリートビジネスマンっぽくなれるものと錯覚していた。当たり前のことだが、一流のモノを身にまとっても優れたビジネスマンにはなれない。

時間は貧富の差がなく、皆そろって1日24時間。

一度キリの人生、この「時間が一番大切」という意味を、再確認したほうが良い。

高給取りのサラリーマンでも、自分の時間がないのであれば全く幸せではない。私は早期退職することで、それこそワークライフバランスで、自分の時間に重きをおいた生活を歩んでいく。そう決めた。

次は何を買おうかなぁと悩んでいる時間は無駄なのだ。

見栄を張るためのグッズはすべて処分せよ

退職金に上乗せするといっても、定年まで働いたほうが生涯年収は高い。当たり前のことだ。

セミリタイアで、なにか副業っぽくビジネスをするわけで、そのビジネスが大当たりするならわからないが、たいていの場合、サラリーマン時代より可処分所得は減る。

使えるお金が減るから、モノを買わない、買えないというのではなく、「モノ(見栄を張るためのグッズ)は少ないほうが幸せになれる」という積極的な理由で、ミニマリストの哲学は取り入れた方が良い。

お金を稼ぐことより、節約をすることのほうが簡単だし、そのミニマムな生活に慣れてしまえば、年間の必要経費はガクんと落とすことができる。

私は金持ちになりたいという欲望はとうに捨てた。金持ちよりも、幸せになりたくはないか。